拡大する国家への定住、1776~1900年

新しい国家の住民は多様化し、西部開拓や奴隷としてのアフリカ人の移住、土地と原住民の編入と征服、移住と移民の増加によりさらに多様化が顕著になりました。アメリカへの移住は1800年代末までほとんど規制が行われなかったため、欧州、中南米、アジアから移民が土地と経済的な機会を求めて続々と入国しました。
 

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伝統を持ち寄って

伝統を持ち寄って

新しい国の広大な土地に定住した移民の多くが、過去の生活を思い出す、ささやかな記念品や伝統を持ち込みました。このような物を手に取り、また新たに再現することで、思い出がよみがえり、また他の住民にも少しずつ文化遺産が伝わるようになりました。

鷲のオブジェ、1850年頃
 

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進歩と後退:欧州の移民

進歩と後退:欧州の移民

1840年から1860年の間に、450万人の欧州人、主にドイツ、アイルランド、スカンジナビア半島出身者が、アメリカに上陸しました。多くは東海岸に定住しましたが、すでに先住民族が暮らしていた中西部に進出する人もいました。

ウィスコンシン州、オジブワ居留地、アニシナーベの地図、1887年

中西部インディアンの強制移住

中西部インディアンの強制移住

アメリカ政府の1830年の強制移住法により、米国東部の先祖代々の土地に暮らしていたインディアンは、ミシシッピー川西部地域に強制的に移住させられました。またこの法律により、中西部の土地が欧州系のアメリカ開拓民に引き渡されることになります。ウィスコンシン州とミシガン州の一部の部族は、強制移住に抵抗し、元の土地に居住し続け、居残った部族は、欧州系のアメリカ人との交渉術を学び、物資や農業の知識を交換しました。先住民の信仰を守り通した人もいましたが、それ以外の人はキリスト教に改宗していきました。

アゴサ酋長

アメリカ先住民は、ワシントンD.C.に外交の旅をする場合には、西欧製の服を着ることがありました。アニシナーベ族の酋長、アゴサは、1836年に首都に代表として向かいます。ここにあるようなアニシナーベ族が作ったリボンが、アゴサの帽子を飾ったかもしれません。後に、アゴサは強制移住の脅威に対抗するため、土地を購入し、部族の人々を移住させました。

西欧と先住民の双方の服装の酋長

帽子のリボン、1830~1850年


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