新しいアメリカ人、継続する議論、1965~2000年

アメリカは、1965年の移民および国籍法(Hart-Celler Act)の通過後、再び移民が増加します。輸送手段と通信技術の向上により、母国とのつながりを維持しながら、アメリカに居住することが可能になりました。新しい移民は、過去に移住した人々と多くの共通点があり、母国以上の高度な経済的機会や自由な雰囲気、安全な生活を求めていました。また過去の移民と同様、平等と包摂の問題に直面することもあったようです。

 

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南西国境地帯:歩み寄りと衝突

南西国境地帯:歩み寄りと衝突

アメリカとメキシコは、数百年以上にわたり双方の国境、アイデンティティ、文化を形造ってきました。アメリカとメキシコの国境は、今日、頻繁に激しい政治的、民族的対立の場として取り上げられていますが、歴史、交易、労働の共有が、約2000マイルの国境沿いの豊かで活力ある文化を支えているのです。

活気ある国境文化

アメリカとメキシコ国境周囲の土地は、アメリカ先住民、メキシコ人、白人移住者、世界各国の移民を含む、多文化集団の交流により境界が定められてきました。文化とアイデンティティの創造、融合、交渉の場です。

自動車のボンネット、ニューメキシコ州チマヨ、1991年

グアンダルーぺの聖母

「グアダルーペの聖母」は、アメリカとメキシコの国境地帯の特別な文化的重要性を帯びた宗教的聖像です。先住民と欧州人の混血であるメスティーソの地位向上を象徴し、文化、人種的アイデンティティ、信仰心の融合として多くの場で用いられます。
 

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多国間での労働

多国間での労働

1965年のハート=セラー法(Hart-Celler Act)は、熟練労働者に特別な「0-1ビザ」を発行すると規定しており、専門職の国内への移住を促しました。この新しい法律により、インドを始めとする各国からの専門家の移住が増加しました。外国人労働者についての論議は今に至っており、アメリカでの雇用にどのように影響するか問題になっています。

21世紀になり、南アジアと東アジアからの移住者が増え、最大の移民グループの一つを形成しています。医師、エンジニアが、高度な訓練を受けた労働者としてアメリカに移住し、アメリカと母国の技術革新のために知識、スキル、資源を提供しています。

国境を越えた仕事

1974年、ラジ・バティクティは学生としてインドからデトロイトに移住し、自動車産業の仕事に就いた後、米国市場のためにインドで技術専門家を訓練する事業を立ち上げました。事業に成功し、長年を経て、同氏と妻のパドマは、アメリカと海外の医療研究の発展を目的とした慈善組織を設立しました。

Complete Business Solutions International Award、1995年

妻が見守る横でCBSI賞を受け取るラジ・バティクティ氏、1995年

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イモカリーの自由の女神、2000年

自由を胸に行進

2000年、農業の活動家が、2週間、230マイルにおよぶ「尊厳と対話、適正な賃金を要求する行進」で、このように自由の女神を現代的に表現しました。この抗議行動は、フロリダでイモカリー労働者連合(CIW)により組織化されました。CIWは、農業の労働条件の改善、賃金値上げを交渉するために、農業労働者、環境保護団体、地域の有力者を含む多様な、異人種間の組織を結集した組織です。

賃金値上げを求めて抗議するイモカリー労働者連合、2000年


最後の展示は、出口の両側にあります。

多くの異なる人びと、その中の一人

多くの異なる人びと、その中の一人

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多くの異なる声、物語、生活を紡いで、私たちは一つのアメリカという国を作ります。